プロ野球選手になるまでの道のり

✅運命の出会い。野球人生が変わった中1

はじめまして。

2009年NPBドラフト4位でオリックスバファローズから指名を受け、現在は野球のプロコーチとして毎年200人以上の個別指導をおこなっています前田祐二です^^

僕は元プロ野球選手でありながら中学生から野球を始めた稀な経歴をもっています。

さらに!!

18歳~19歳の1年間野球をしていません(^^;)

なのになぜ、プロ野球選手になれたのか??

順を追ってお話していきます。

先ほども言いましたが僕は中学1年生のときから野球を始めました。

小学生のときはスポーツは水泳しか習っていなかったし、野球は父や兄とのキャッチボールくらいでしたが、そのかわり野球中継は食い入るように観ていた記憶があります。

寝転んで右手を顔の支えにして横向きで野球を見ていたときに、肩が外れて病院に行ったことが1度ありますがそれも今となってはいい思い出ですね^^笑

言うまでもなくそれ以来変な態勢でテレビを観なくなりましたよ。

保護者さん
中学1年から野球を始めたのにプロ野球選手になれるなんてセンスがあったんですね~。

とよく言われますがそんなことは全くありませんよ!!

見てください、この打てなさそうな構え。。。笑

センスなかったんですよ↓

僕の周りにはボーイズ、シニアなどクラブチームに入っていた友だちがたくさんいましたが間違いなく彼らのほうがセンスはありましたし、その子たちはきっちり甲子園の常連校に推薦で入学していきました。

でも、プロには誰一人としてなれていません。

じゃあなんで僕がプロ野球選手になれたのか?

それは素晴らしい「指導者」に出会えたからです。

✅指導者によって選手の道は決まる!!

僕は中学生のときに野球人生の恩師に出会うことができました。

中学軟式野球部に入った当時、イチロー選手にあこがれて外野手をしていましたが、小学校のとき少年野球チームに所属していなかった僕はマジでど下手くそでした・・・。

守れない・打てない・ルールがいまいちわからない。

ただ普通に投げられるだけの選手には、野球の守備練習やバッティング練習は苦痛でしかありませんでした。

自信もなく楽しそうでもない僕は周りの友だちから見ても気に食わなかったと思います。

ひどくはないですがイジメっぽいことをされていたりもしました。

そんなある日、たしか入部して2カ月くらいたった練習日だとおもいますが、恩師にあたる当時の監督に呼ばれいきなりこんなことを言われました。

監督
お前、ピッチャーやってみいひんか?
まえゆう
ピッチャーですか?
まえゆう
わかりました。やったことないですけどやってみます!

この一言で僕の人生は激変しました!!

投げる能力だけ並み(球速は多分90キロくらい)だった僕にとってピッチャーというのは天職でした^^

「ピッチャーというポジションはなんて楽しいんだ」

そんなことを思えるくらい1日1日が楽しくて仕方ありませんでした!

が悲しいことに、キャッチャーの返球のほうが速かった。。。笑

それでも、それまで上手くいってなかった友だちとの日常生活も徐々に変わっていき、いじめられたり邪魔もの扱いされたりもなくなっていきました。

自信をもつようになり楽しく明るくなっていったからでしょうね^^

この監督は僕がピッチャーに向いていることにいち早く気付いてくれて、僕に「道」を示してくれたんです

この一言がなければプロ野球選手前田祐二は存在していません。

先ほどもチラッと言いましたが球速は非常に遅かったですが、はじめはカーブとまっすぐのコンビネーションで抑えることができていました。

そうやってピッチャーの楽しさを覚えていけたから、つらーーい練習に耐えることができたんです。

最終的に90キロから132キロまで2年半で伸ばすことができましたけど、それは練習メニューにも秘密があったんだなと今になってわかりますね^^

僕以外のピッチャーも球速は上がっていましたし、2年半で40キロ以上球速が上がることなんかまあないですからね(^^;)

そのかわりマジで、ほんとに、最悪に練習はきつかったですよ。。。笑

こんな感じで現実に体験してきた僕だからわかることとして、「指導者によって将来が変わってしまう」ということを声を大にして言いたいです。

それが良ければいいですが、悪い方向にいってしまうと最悪ですね。

今となっては当時の練習メニューももちろん良かったですが、あれもやっとけばよかったなとかもわかるようになりましたし、もっと野球に対して真摯に向き合えばよかったと考えることもありますね。

こういう経験をしてきた僕だからこそ今教えている生徒たちに結果が出ているのかなとかも思います^^

✅高校時代

中学野球で132キロの球を投げられるようになったからか、何校からか推薦のお話をいただいていましたがすべて断りました。

なんでかって??

野球で進学するなんてことを全く考えていなかったからです!

というよりも野球で進学できること自体に興味がなく知らなかったというのが大きいですね(^^;)

なので流されるがまま進学校である大阪府立富田林高校に入学しました。

この選択を後々考えてみると、結果としてよかったなと思う反面、このときもう少しプロ野球選手になるということに敏感になっていれば、野球人生もまた違ったものになっていたのかなとも思います。

高校がなんせ進学校なんで強豪私学と違ってプロ注目選手はいなかったので1年生の夏にベンチ入りし登板することができました。

弱小ではなく普通の強さの高校で、相手は弱かったですが実際僕が公式戦初登板した(1イニングのみ)試合は40点以上の差をつけて勝ちました。

そして公式戦2試合目の登板はなんと!!

先発。

相手はその年の大阪予選でベスト4になった清教学園というチームでした。

そんなサプライズ先発でしたが強烈すぎるインパクトを残してしまったんで僕の高校時代のベスト試合なんて言う人もいますが、結果は2-5で敗れました。

7回終了時点まで2-1で勝っていたしおそらく毎回奪三振つきのバッティングでも1安打2盗塁1打点1得点でした。(記憶が曖昧なのでちょっと違うかも)

実は、この試合前にちょっとした出来事があったんですが、それがナイスピッチにつながっているのかもです。

その出来事っていうのが、写真でも見てわかるように僕はヒョロヒョロだったんで試合前に清教学園の選手とすれ違ったときに、

「今日の先発あいつかよ。ヒョロヒョロやんけ。」

って聞こえるような声で言われたんです。

まあ明らかにケンカうってきてますよね?笑

だからそのケンカを買うかわりに抑えてやったんですよ(^^♪

試合中に相手の監督が選手たちにキレてたらしいのでざまーみろですよ。

勝てればよかったんですけど、中学生から上がりたての僕は7回までしか投げる体力がなかったらしく8回につかまってしまい3年生には申し訳ないことをしてしまいました↓

実はまだこの試合にはドラマがあって、実は清教学園の監督さんは中学時代の僕のことをスカウトしてくれてたらしいんです。

だから余計にキレてたんでしょうね。笑

ケンカ売ってきた選手には今思えば感謝します。

だってそのおかげで「試合のときのメンタル」を最高の状態にしてくれたんですからね!

中学では野球人生の恩師に出会い、高校入りたてで試合時のメンタルを学べたってすごく幸せなことだと思います。

逆にこの時に、売られたケンカを普通に買ってしまっていたら力みすぎてコントロールなんかできていなかったでしょうし、抑えたんねんっていう気持ちを冷静に自分のチカラに変えれたことがベストピッチにつながったんです。

そして強烈すぎるデビュー戦をしてしまった僕は、高校OBや監督コーチに多大なる期待を持たせてしまい、そのおかげで「エースとしての責任感」はかなり成長しました。

ありがとうございました^^

高校の3年間というのはものすごく早くすぎていきますが、とても成長できる3年間でもあるのでがむしゃらにそして考えながら猛練習にはげんでほしいですね。

僕自身もまーーーったくセンスのなかったバッティングがちょっとマシになりましたよ^^笑

3年間で10本くらいホームランを打ちましたしね!

高校では考えて練習することを心がけていたので、それが大きな成長をもたらしてくれたとおもいます。

例えばバッティング練習のときに、「今日は全球流し打ちする」とかピッチングのときは「最初と最後の球は1球で狙ったところに投げて、もういっちょはなし!」とかですね^^

ただ単に練習したところでそんなに伸びないので考えて練習することを小さいうちから心がけるとプロ野球選手に近づけると思います(^^)/

人生のターニングポイント2:大学時代に続く

✅大学時代

最初のほうに言いましたが、実は僕には他のプロ野球選手にはないことがあります。

それは身体的成長で大事な18歳~19歳のあいだに野球をしていないということです。

信じられないでしょ?

自分でも「よくプロ野球選手になれたな」って思います(^^;)

ではなぜこの1年間野球をしていないかというとですね、

実は1度大学を中退(入学して2週間で辞めた)して浪人しているからです。

富田林高校で野球をメインでやっていたので勉学のほうをおろそかにしてしまい希望する大学には入れませんでした。

で、「進学校に入ったのに浪人するのは世間体的になんか嫌や、なんかかっこ悪い」って当時の僕は思っていたので(なんかかっこつけてたんでしょうね。笑)すべり止めで受けていた大学に入学したんですが、入学してから「はっ!!」と気づきました。

「いやいや、かっこ悪いのは今の俺やん?夢を目指して浪人している人のほうがカッコいいやんか。中途半端な今の俺でいるのは将来の人生も中途半端になってまうんちゃうか。」

もともと大学はプロ野球選手になるために行こうとおもっていたので、関西にある全国大会に出れるような大学を希望していたのですが、

「とりあえず合格したしここでいっか。」

っていう夢を忘れて安定をとってしまった自分に気づいたとき落胆してしまいました。

でももうすでに入学してしまっているので親は何十万とする入学金を払ってしまっているし、しかも辞めた後は予備校に通わないといけないからさらにお金がかかってしまいます。

でもプロになりたい・・・。

何日、何時間考えたか忘れてしまいましたが、一日のうちのほとんど考えていたと思います。

『俺の心からの気持ちを両親に話してみよう』

この結論に至りました。

実際話をするときはめっちゃくちゃ緊張しました(^^;)

どんなけ親不孝もんやねんって話ですよ。。。

ただ両親は僕の気持ちを知っていたのか勘づいていたのか、意外とすんなりと大学を辞めて1年勉強することにオッケーをくれました。

これが僕のプロ野球ストーリーの第2のターニングポイントとなりました。(第1は中学のときにピッチャーをすすめられたとき)

結果的にしっかり勉強したので希望する野球の強い大学、龍谷大学に入学できました!

が・・・。

入学したらしたで次の壁にぶちあたりました(^^;)

強豪大学は推薦でほぼ野球部員は決まっているので、どうやって入部したらいいんだろう問題がでてきちゃいました↓

入部さえすれば勝てる自信はあったんですが、入部の仕方がわからない(^^;)

そして行動力もない・・・(;_:)

あーだこーだ悩んでても時間が過ぎるだけ!!

ってことで割り切って4月末に野球部に直接コンタクトをとって面談みたいなことをさせてもらえるようになり、そして後日マネージャーに連れられて専用球場に行き、本部監督室に入って監督とお話させていただきました。

無事に5月初めくらいから入部することができ第1の壁をクリアしました(^^♪

次は第2ミッション【部内で実力を認めてもらう】ことです。

一般入試で硬式野球部に入部しても、実際、監督やコーチに認めてもらえるのは非常に難しいことです。

僕が1年生のときの龍谷大学のエースは元ソフトバンクホークス、阪神タイガースで中継ぎとして活躍された柳瀬明宏さんでした。

柳瀬さんはピッチャーキャプテンという役職についていたので、ランニングメニューなんかも決めていたんですが、そのメニューが鬼のようなきつさで、とりあえずやばい・・・。

『このあと投げれるもんなら投げてみー』

という言葉は今でも忘れません。笑

鬼のようなランニングメニューをしたあとにピッチングしたい人はするんですが、足がガクブルしているので大半の人はやらないんですけど、認められたい願望MAXの僕はどんなきつい練習の後でもピッチングやバッティングピッチャーをしました。

それが功を奏して、球速とキレの良さをコーチ・監督に認められ、甲子園ボーイが多々いる中(部員も当時1年~4年合わせて110人くらいだったかな?)1年で最初にベンチ入り(1年の9月)できるようになりました!!

強い信念を持って、あきらめなければ目標は達成できる!

そしてその後はベンチを外れたことはありません(´▽`)エヘン!(うざい・・。)

2年時にはオールスターにも選ばれ、4年間で全国大会3度経験(メンバーにはいっていたけど登板は1度だけ)することができました。

ここで思い出してくださいね。

僕は大学に入るまえの1年間野球をしていなかったし周りは甲子園ボーイばかり。

もっというと中学から野球を始めた野球歴の浅い選手です。

なんで部員100人以上の強豪大学で1年時からベンチ入りできたんでしょう?

センスがあったから?違います。

監督にゴマをすったから?したことないです。

『実力を認めさせる、という強い信念を持ち、必要なこと(ランニングのあとに必ずピッチングをする)だけを集中してやり続けたから』

これだけです!

ってことは誰にでもできるはずです。

諦めたら終わりです。

絶対に叶えたい夢は忘れないでください。

あなたもやりましょう!!

できるところからでいいので行動しないと何も変わりません。

大学時代の話はまだ終われません。

実は野球人生2人目の恩師に出会っています。

その人と出会って僕は野球選手としての能力・実力を大幅に伸ばすことができました。

元ヤクルトスワローズの山本樹さんです。

新鮮な練習メニューと野村ID野球(野村克也元ヤクルト監督の考え)の頭を使った野球に衝撃を受けました。

【ただ野球をするのではなく考えて考えて考えながら野球をする】

そしてメンタル面でも色々教えていただき、とても印象に残っているのは

『60分走るとして59分59秒で終わるやつはその1秒に泣く』

これは最後の1球で打たれたり、油断してケガをしたり、その1秒が蓄積されて最後まで走る選手に負けたりする、という意味です。

深いなあって思いません?笑

この出会いのおかげで大学の時は、配球・メンタル・球速・コントロールと野球に必要なすべての要素で成長ができました。

感謝しかありません。

球速は142キロまで投げられるようになっていましたし大学4年の時は防御率0.00でした。

✅独立リーグ時代

大学で就職活動どうしよう(普通に就活をやる気が全くなかった)と考えていたときに、王子製紙という社会人野球チームの練習に参加させてもらったんですけど、時期が遅かったのと監督さんが変わってしまったことで話がなくなってしまいました↓

じゃあどうする?俺。

と、なかば明け暮れていたときに、コーチから独立リーグの試験を受けることをすすめられました。

今でこそ独立リーグって名前を聞くようになりましたが、当時はあまり知られていなかったし僕自身も「?」でした。

でも試合にスカウトが見に来るからプロになれるかもしれないという話を聞いて迷いなく受けに行きました(^^)/ゴーゴー

実は独立リーグのトライアウトの日程が大学の秋のリーグ戦とかぶっていたし、僕はメンバーに入っていたのでどうしましょう?と監督コーチに相談したところ、

『お前の将来がかかってる一大イベントや。リーグ戦のことは気にせず行ってこい』

と温かい言葉をいただきトライアウトを受けに行ったという経緯があります。

BCリーグのトライアウトは石川県か福井県か富山県か・・・北陸のどこかでありました。(曖昧すぎる。笑)

試験当日無事に試験会場についてアップをしていたら色んなかたと仲良くなりまして、本当に様々なかたがおられました。

高校中退した16歳、電気屋さん、フリーター、大学生・・・。

電気屋さんのかたは、受けてみてダメだったら諦められるけど、何もしないであきらめると後悔するからっておっしゃってました。

カッコいい。

そんなこんなで、50m走、遠投、ピッチングなど種目をこなしていたら、なんかちょっと偉い人にピッチング中に声をかけられて、

『えーっと前田君。もう合格。』

え?

まさかの1次試験で合格がきまってしまいました(^^;)

「ん?」

「滞在時間くそ短くない?」

「移動時間のほうが長いやん。」

「え?」

ってな感じでちょっとてんぱってたら

『2次試験は実践やから、受けていく?』

みたいな感じになったんで、ここまで来たしぜひ受けさせてください!と返事をしてなんとか滞在時間のほうが長くすることができました(^^)笑

後でこの真相を聞いたら、独立リーグにもドラフト制度がありBCリーグに所属してほしいから他のリーグのトライアウトを受けにいってほしくなかったみたいです。

というよりそもそも何球団かが1位指名するみたいな感じだったみたいなんでどこか獲るのは確実だったから先に言ったみたいです(^^;)

その2次試験での小話ですが、高校のときに北陸では有名だった選手と対戦したんですが、その子のスイングは常にフルスイング。

めちゃくちゃ印象に残っています(^^)

結果は三振で僕の勝ちでしたがワクワクさせてくれる選手で、僕も全球ストレートで勝負しました。

楽しかったなあ(^^)/

そして運命のドラフト会議は、希望枠(昨年プロ野球選手を輩出したチームが優先的に指名権を得る制度)で、福井ミラクルエレファンツに1位指名していただき、無事に独立リーガーになれました^^

嘘じゃなくてよかった(^^;)

独立リーグは3月からキャンプインし、4月前後に開幕します。

なんと1年目にして開幕投手の大役をいただけるくらいチームの信頼を得ることができるようになっていました。

結局終わってみれば、チームの勝ち星の3分の1を稼ぎ最多奪三振のタイトルまでいただきました(´ー`)エヘン(もういいってこれ・・)

結構人気でお客さんもかなり多いんですよー
プロの時も17番がよかった・・。

独立リーグのときは見に来てくれる、応援してくれるファンの人たちやスポンサーになって協力してくれた方々、ご飯を御馳走してくれる料理屋さん、色々なかたへの感謝の気持ちがすごく芽生えました。

自分一人で野球をしているんじゃない、周りに支えてくれる人たちがたくさんいるんだってことを学びました。

独立リーグといっても年間100試合くらいしますし、人気球団は2000人くらい観客がきます。

僕のいた時代のエレファンツはなぜかイケメンが多く、かなりの人気を誇っており、「BCのホストクラブ」って言われてたりしてました(^^;)

ですが子どもたちも多く見に来てくれていましたし、僕たち選手も試合終わりには球場の外でお見送りしてファンの方に感謝の気持ちをしめしていました。

ファンと選手の距離がかなり近いので楽しかったです(^^)/

運命のドラフト会議

そんなこんなでシーズンが終わりドラフト会議の日がきました。

シーズン中に6球団くらいのスカウトの人が見に来てくれていたみたいで、その中でも2球団が最後まで僕に興味を示してくれていました。

その2球団は、阪神タイガースとオリックスバファローズです。

実は阪神タイガースから育成ドラフトで指名するむねはうかがっていたので、ドラフト会議の日は「育成ドラフトまで長いなあ」と思いながら、福井ミラクルエレファンツの親元の福井新聞本社にてドラフト会議を見ていました。

すると突然、

『オリックスバファローズ4巡目、前田祐二、投手、福井ミラクルエレファンツ』って司会の方が読み上げました。

「聞いたことある名前やなあ」

「え?」

「俺?」

気抜いてたんで自分って最初わからなくて(^^;)

周りからおめでとう!って言われるまで本当に気付かなくて実感はありませんでした。

育成ドラフトって思ってたのが本指名になり、実はBCリーグで初めての本指名選手だったらしくちょっとしたニュースになっちゃいました。笑

テレビ側も全く予想してなかったのか、指名されたとき僕の写真はありませんでしたからね(´;ω;`)ウッ…。

僕がプロになれた理由まとめ

  1. 信用のおける素晴らしい指導者に出会った
  2. がむしゃらに練習した
  3. 考えながら練習した
  4. 自分の夢を見失わなかった
  5. 強い信念を持っていた
  6. 必要なことだけをやり続けた
  7. 諦めなかった

これまでお伝えしてきたプロになるまでのストーリーで僕は何をしていましたか?

特別なことしましたか?

僕は自分の夢を持ち続け、それに向かって考えながら、そしてがむしゃらに野球をしてきただけです。

そうしてきたからこそ、僕のターニングポイントとなるような素晴らしい指導者に巡りあえたと思っています。

信用のおける指導者に巡りあうには、まず行動してみないといけません。

僕の夢はあなたの「道」をしめすこと

僕はすでにプレイヤーを引退して指導者になっています。

僕の今の夢、いや、僕がしなければいけないことは、1人でも多くの選手に僕が恩師にしてもらったように「道」を示してあげることです。

選手一人一人に合った正しい知識、動き、メンタル、目標設定、練習メニューなどをお伝えすることに全力を注いでいます。

横浜の筒香選手も言ってましたが、僕は常に新しい知識をアップデートして日々研究しています。

そうしないと【信用のおける素晴らしい指導者】にはなれないからです。

あなたはその提示したものをがむしゃらにやるだけで上手くなり、プロ野球選手に近づけます。

だからまずは行動しましょう^^

僕じゃなくても素晴らしい指導者はいるはずなので、強い信念を持ち、がむしゃらに練習をし、夢を諦めないでいれば必ず巡りあえます。

もう一度言います。

強い信念を持ち、がむしゃらに考えながら練習し、夢を忘れることなく決してあきらめないこと

覚えておいてくださいね^^

それでは(^_^)/~

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BASEBALL DREAMS

2020年9月1日にベーストピア株式会社を設立し、すべての野球人の道しるべとなるべく「BASEBALL DREAMS」を立ち上げました。
どんな境遇・環境におかれている選手でも、能力以外の理由で野球をあきらめることのないよう、どこに住んでいてもどこのチームに所属していても平等にスカウトしてもらえるようになります。
すでにNPBスカウトが登録済みです。
高校生以上なら誰でも無料で登録できますので、1歩踏み出す勇気をもってあなたの可能性を広げてみてはどうでしょうか?

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